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ヤングタウン
アーカイブ

1972-2001

ヤングタウンアーカイブ 1972-2001

ヤングタウンは、1970年代に泉北ニュータウンの一角に誕生した、勤労青少年のための町です。大阪へ集まった若い働き手たちに住まいと生活の基盤を提供するとともに、親代わりとなるペアレント制度やスポーツ・文化活動を通して、多くの若者たちが仲間と出会い、青春の日々を過ごしました。当時の時代背景や取り組みを振り返りつつ、元住民・ペアレント・職員の方々へのインタビューも交え、ヤングタウンで紡がれた物語をお伝えします。

ヤングタウンについて

成り立ちと設立の背景

昭和40年代(1965~1975年ごろ)の高度経済成長期、大阪には他府県から多くの若年労働者が就職のために集まりましたが、住宅不足や生活環境・福利厚生の課題が深刻化していました。こうした状況を受け、大阪府・国・民間が連携した総合的な勤労青少年対策として、泉北ニュータウン泉ヶ丘地区三原台に建設されたのが「ヤングタウン」です。 管理運営は財団法人青少年の町(1971(昭和46)年設立)が担いました。

  • 開発が進められる泉北ニュータウン
    開発が進められる泉北ニュータウン
  • 「青少年の町ヤングタウン」パンフレット
    「青少年の町ヤングタウン」パンフレット

出典:「ヤングタウン」(建設計画パンフレット)、「青少年の町ヤングタウン」(総合案内パンフレット)

公社三原台単身者住宅を含む
共同宿舎群

1972(昭和47)年に入居が始まったヤングタウンは、大阪府住宅供給公社三原台単身者住宅(4棟・約2,000人規模)を含む共同宿舎群に、大浴場・食堂・体育館などの福祉施設を併設していました。住まいの提供だけでなく、ペアレント制度(詳細は後述)や、文化・スポーツ・教養講座、相談支援を通して、若者の自立や健全育成、人とのつながりづくりを支援してきました。全国から集まった多くの入居者が、ここで暮らし、学び、仲間と出会い、社会へと巣立っていったことから、ヤングタウンは「住まい」であると同時に、若者たちの成長を支えたコミュニティ拠点として大きな役割を果たしました。

  • 公社三原台単身者住宅
    公社三原台単身者住宅
  • 第1期入居申込書(1972年頃)
    第1期入居申込書(1972年頃)
  • 集い・語り・憩う若者たち
    集い・語り・憩う若者たち
  • ソフトボールを楽しむ入居者
    ソフトボールを楽しむ入居者

出典:「ヤングタウン(青少年の町)入居申込案内」、「青少年の町ヤングタウン」(総合案内パンフレット)

時代のニーズに合わせ
変化するヤングタウン

時代が進み、オイルショック後の就業構造の変化や住まいに対する意識の多様化によって、寮型住宅のスタイルは次第に生活ニーズと合わなくなっていきました。こうした影響もあり、ヤングタウンの入居率は1976(昭和51)年をピークに低下へと転じます。
この状況を受け、1980(昭和55)年以降には、入居年齢制限の緩和や門限の廃止、学生・外国人研修生の受け入れ、設備改修など、入居促進に向けた取り組みが進められ、入居率は回復します。

  • 1980年7月「泉北コミュニティ」の新聞記事
    1980年7月「泉北コミュニティ」の新聞記事
  • 1984年4月「泉北コミュニティ」の新聞記事
    1984年4月「泉北コミュニティ」の新聞記事

出典:「泉北コミュニティ 1980年7月5日号」、「泉北コミュニティ 1984年4月27日号」

「青少年の町」の解散と、
閉鎖までの歩み

その後、入居率が再び下降に転じ、1995年頃から、公社三原台単身者住宅では、4棟のうちの2棟1000室について、専用面積を引き上げ700室とし、住戸内にバス・トイレ・ミニキッチンを設置するなど住環境の改善が図られました。しかし長期的な入居率の回復には至らず、民間棟・事業団棟の閉鎖や転用など、再編の動きが少しずつ進んでいきます。
そうしたなかで2001年、運営母体である財団法人青少年の町が解散。公社三原台単身者住宅はその後も賃貸住宅として残りましたが、リニューアル工事未実施の2棟は、新規入居の受付を停止し、2005年に売却。2011年に最後の2棟も売却となりました。かつて若者たちの活気に満ちていたこの地は、時代の変化とともにその役割を終え、ヤングタウンは静かな幕引きを迎えました。

  • リニューアル住戸をアピールした募集パンフレット(2001年頃)
    リニューアル住戸をアピールした募集パンフレット(2001年頃)
  • 2011年2月「泉北コミュニティ」の新聞記事
    2011年2月「泉北コミュニティ」の新聞記事

出典:「三原台単身者住宅」(募集パンフレット)、「泉北コミュニティ 2011年2月10日号」

ヤングタウンが遺したもの

労働施策としての役割を終え、幕を下ろした『ヤングタウン』。けれどその歩みは、つながりや見守り、学び合いを通じて「人と人が育ち合う団地」を形にしてきた時間でもありました。孤立や人間関係の希薄化が進むいまだからこそ、住まいを起点にリアルな交流を通じて、つながりや支えあいを育んだ試みの意義を、あらためて問いなおすことが必要かもしれません。

  • 廃止直前の公社三原台単身者住宅(2003年)
    廃止直前の公社三原台単身者住宅(2003年)
  • 撤去前の公社三原台単身者住宅(2004年)
    撤去前の公社三原台単身者住宅(2004年)

写真提供:「コミュニティ資料室」

ヤングタウンの構成・施設

概要
名称青少年の町(ヤングタウン)
建設・整備1970(昭和45)年~1973(昭和48)年(順次整備)
入居開始1972(昭和47)年3月第1期入居開始
1973(昭和48)年3月第2期入居開始
所在地泉北ニュータウン 泉ヶ丘地区
(三原台周辺)
計画面積約16ha(約5万坪)
計画規模単身者 約10,000人規模
主な住宅構成
※計画上
  • 建物形態:
    中層住宅(10棟・約1,500人)
    高層住宅(18棟・約8,500人)
  • 設置主体:
    雇用促進事業団住宅(約3,000人)
    大阪府住宅供給公社住宅(約2,000人)
    民間企業棟住宅(約5,000人)
主な福祉・
センター施設
  • 本館:相談室/研修室/集会室/視聴覚室などグループ活動・文化教養のための施設
  • 泉北勤労福祉センター(雇用促進事業団設置):食堂/郷土資料展示室/集会室/宿泊室など
  • 公益的施設(民間企業設置):食堂/売店など
ヤングタウン配置図
ヤングタウン配置図

主要施設

大阪府住宅供給公社三原台単身者住宅
大阪府住宅供給公社三原台単身者住宅
雇用促進事業団泉北勤労福祉センター
雇用促進事業団泉北勤労福祉センター
民間企業共同住宅
民間企業共同住宅
雇用促進事業団泉北丘陵宿舎
雇用促進事業団泉北丘陵宿舎
大阪府立勤労青少年会館
大阪府立勤労青少年会館

出典:「青少年の町ヤングタウン」(総合案内パンフレット)

建物概要(公社三原台単身者住宅)

概要
名称大阪府住宅供給公社三原台単身者住宅
所在地泉北ニュータウン 泉ヶ丘地区
(三原台周辺)
完成時期
(管理受託)
  • 第1期:1972(昭和47)年1月25日
    (住宅2棟・1,000室+附属建物)
  • 第2期:1972(昭和47)年12月22日
    (住宅2棟・1,000室)
入居開始1972(昭和47)年3月第1期入居開始
1973(昭和48)年3月第2期入居開始
建物規模高層10階建・4棟(男子棟3/女子棟1)
戸数計2,000室(男子1,500室/女子500室)
居室1人1室(和室/洋室・約11㎡)
延床面積
  • 2-1棟:9,767㎡
  • 2-2棟:9,937㎡
  • 2-3棟:9,795㎡
  • 2-4棟(女子棟):9,657㎡
  • 食堂:853㎡
  • 浴場:298㎡
付属施設食堂棟/浴場棟
共用施設談話室/炊事洗濯室/便所/待合室/休養室/卓球室 ほか
地域暖房大阪ガスのエネルギープラントからのスチーム供給による地域暖房システム
住居棟平面図
住居棟平面図
居室平面図
居室平面図
食堂棟平面図
食堂棟平面図

出典:「ヤングタウン(青少年の町)入居申込案内」、「青少年の町ヤングタウン」(総合案内パンフレット)

History Contents

当時のヤングタウンの暮らし

若者が集った単身住宅
―驚きの家賃と4畳半の居室

1972(昭和47)年の第一期募集時、ヤングタウン(公社三原台単身者住宅)の家賃は約7,500円。共益費を含めても月1万円でお釣りがくるほどの安さでした。一方で、居室は4畳半ほどのコンパクトな空間。洗濯機は各フロアに数台、ガスはコイン式、冷蔵庫は持ち込みの小型サイズという、少し不便でありながら工夫しながら暮らす日常がありました。
会社寮として、友人の紹介で、あるいはクラブ活動をきっかけに入居するなど、さまざまな理由で全国から若者たちが集まり、「ふつうの一人暮らし」とは少し異なる、ヤングタウンならではの暮らしが始まっていきます。

  • 公社三原台単身者住宅の外観
    公社三原台単身者住宅の外観
  • 居室の窓から干される洗濯物(当時の生活風景)
    居室の窓から干される洗濯物(当時の生活風景)
  • 廊下
    廊下
  • 4畳半の居室(洋室タイプ)と洗面スペース
    4畳半の居室(洋室タイプ)と洗面スペース

ヤングタウンの施設・環境

充実の共同施設と周辺環境

コンパクトな自室とは対照的に、共同施設はまさに“至れり尽くせり”でした。大浴場は「温泉のようだった」と語られるほどの広さと快適さで、食堂では朝から夜まで食事がとれ、体育館、テニスコート、卓球室、トレーニングルームなど、若者たちのエネルギーを受け止める場所が敷地内に整備されていました。
駅前には商業施設や市場があり、夜になると団地の周囲に屋台が並ぶこともありました。「団地のまわりまで含めてヤンタンの生活圏だった」と振り返られる当時の風景が、今も多くの人の記憶に残り続けています。

  • コインシャワーと大浴場
    コインシャワーと大浴場
  • 食堂
    食堂
  • テニスコート
    テニスコート
  • ヤングタウンの周辺施設(当時)
    ヤングタウンの周辺施設(当時)

出典:「青少年の町ヤングタウンガイド」(1996年頃)

ヤングタウンのユニークな制度

ペアレント制度が支えた
「もう一つの家族」

ヤングタウンの大きな特徴が、各棟に配置された「ペアレント」の存在です。入居開始当時は、1棟(約500人)につき3世帯のペアレントが住み込みで配置され、親元を離れて大阪に出てきた若者たちにとって、まさに親代わりの存在でした。体調を崩した時にお粥を作ってくれる、食事の心配をして声をかけてくれる、夜遅くまでそばに寄り添い話を聞いてくれる、そんな日々の関わりが、入居者に安心感と居場所をもたらしました。

ペアレントは募集によって担い手が選ばれ、ときには元入居者が家庭を持ってから「今度は支える側に」と手を挙げることもありました。イベントや運動会に一緒に参加し、喧嘩の仲裁役になり、ときには叱る役も担いながら、若者たちの成長を見守っていました。インタビューでは「あのご夫婦がいてくれたから孤独にならずに済んだ」という言葉も語られており、ヤングタウンが単なる住まいの提供にとどまらず、人と人との関係性を軸にした“暮らしの場”であったことが伝わってきます。

  • 年始恒例の餅つき大会―ペアレントの家族も一緒に
    年始恒例の餅つき大会―ペアレントの家族も一緒に
  • ペアレントの子供たちも参加した体育祭(1990年頃)
    ペアレントの子供たちも参加した体育祭(1990年頃)
  • ペアレントに寄せられた結婚に関する相談件数
    ペアレントに寄せられた結婚に関する相談件数
  • 体調不良時の看病や病院への付き添いも担った
    体調不良時の看病や病院への付き添いも担った

出典:「ヤングタウン20年のあゆみ」(青少年の町)、ヤングタウン入居者向け会報誌「ニューズヤングタウン」、元入居者ご提供写真

ヤングタウンで育まれた交流

クラブ活動とイベントが生んだ、
仲間と一生のつながり

最盛期には60近いクラブが存在したと言われるほど、ヤングタウンのクラブ活動は活発でした。スポーツ系は休日に、文化系は平日の夜に活動し、入居者自らが企画・運営を行っていました。運動会やソフトボール大会、盆踊り、餅つき大会など、年間計画に基づいて多くの活動が行われ、「学校の文化祭のようだった」と振り返る声も聞かれます。
そこで出会った仲間と結婚し新しい家庭を築いた人もいれば、今も全国各地で友人との交流を続けている人もいます。ヤングタウンは「ただ暮らす場所」ではなく、クラブ活動やイベントを通じて、人生を変える出会いと、一生もののつながりを育んだ場所でもありました。

  • 1万人が集まったヤンタン盆踊大会(1974年)
    1万人が集まったヤンタン盆踊大会(1974年)
  • ヤンタン体育祭(1990年頃)
    ヤンタン体育祭(1990年頃)
  • バドミントン大会(1990年頃)
    バドミントン大会(1990年頃)
  • イベント後には、談話室で打ち上げを楽しんだ(1990年頃)
    イベント後には、談話室で打ち上げを楽しんだ(1990年頃)

出典:ヤングタウン入居者向け会報誌「ニューズヤングタウン」、元入居者ご提供写真

インタビュー

ヤングタウンに関わった元入居者・ペアレント・職員の方々へのインタビューを実施させていただきました。
当時の暮らしや施設の様子、そこで生まれたつながり、
そして時代の変化のなかでヤングタウンが辿った歩みについて、記憶をたどりながら語っていただきました。

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大阪府住宅供給公社 経営戦略室 企画課
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