【ヤングタウンの記憶・第3回】さよならヤングタウン~「今に続く絆」とそれぞれの想い~
第1回ではヤングタウンのユニークな生活環境(ハード面)を、第2回では「ペアレント制度」や活発なクラブ活動といった人のつながり(ソフト面)をご紹介しました。
最終回となる第3回は、当時の入居者なら誰もがうなずく「あるある話」や、今だから笑って話せるハプニング、そしてヤングタウンの「終焉」と、参加者の皆様の胸に「今も残り続けるもの」に迫ります。若者たちの情熱と時代の熱気が詰まった「ヤングタウン」の記憶、その締めくくりです。
「ヤンタンあるある」と、今だから笑えるハプニング
Q: ヤングタウンに住んでいた方ならわかる「あるある」はありますか?
野出さん: 帰りの時間になると、駅の近くから、ヤンタンの子がぞろぞろと歩いて帰ってくる。
兵藤さん(奥様): あの辺りは単身者はヤンタンだけだったから、ぞろぞろ歩いてるのはみんなヤンタンの子でしたね。
山上さん: あとは、厳しい「門限」や、管理人さん経由の「電話の取り次ぎ」も、ヤンタンならではの「あるある」ですね。女性棟は特に厳しかったです。
Q: みなさんがよく集まっていた場所や、思い出深い場所はありますか?
山上さん: 各階にあった談話室以外では、集会室もよく使いましたね。何かする時は「借ります」って申請して、同じ階の人たちで集まっていました。
坂野さん: 運動会やソフトボール大会の練習は、田園グラウンドですね。堺市の持ち物なんですけど、すぐ近くだったから。
小西さん: みんな「ヤンタンのグラウンド」って呼んでいました。
野出さん: そうそう。ヤンタンの許可がないと使えないみたいな雰囲気で、みんなヤンタンに許可を取りに来ていました(笑)。
山上さん: あのグラウンドも今はなくなって、近大の施設ができてきれいになっています。泉ヶ丘プールの面影もなくなっちゃいましたね。
左上が通称「ヤンタンのグラウンド」となった場所
Q:今思い返すと、ちょっと笑ってしまうような出来事やハプニングはありましたか?
野出さん: 門限破りなんてしょっちゅうありました。門限破りをしようとして、6階から落ちた子もいたんですよ。幸い怪我だけですみましたけどね。
坂野さん: 僕はお風呂が混んでいて入れない時は、洗濯室の水道でシャワーを浴びていましたよ。もちろん水ですけどね。ワイルドでしょ。風呂の代わりに、夜中に泉ヶ丘プールに飛び込んだりもしましたから(笑)。
___ 溢れるエネルギーを、時に無茶な方向で発散してしまうのも若者の特権かもしれません。今となっては笑い話として語られる数々の武勇伝も、ヤンタンの熱気を物語る貴重な証言です。
突然の「閉鎖」と、全国から集った「さよならパーティ」
Q:ヤングタウンが閉鎖されると聞いたとき、どんなお気持ちでしたか?
山上さん: 前もって話がなかったですからね。急でした。
小西さん: 誰かから「新聞に載ってるよ」って言われて、「ええー!」ってみんなでびっくりしました。
野出さん: 入居者の方が減ってきているな、という実感はありました。最盛期に比べるとね。ヤングタウン設立当初の「勤労青少年を受け入れる」というニーズ自体が少なくなってきたのに加え、エアコンが無いなど、だんだん現代の生活スタイルに合わなくなってきたのが現実です。だから、学生に開放したり、地域に開放したりと策は練ってきたのですが、結局入居率が上がらない。そうなると府のほうは「これ以上続けていく意義がない」という判断になりました。
小西さん: 新たな形でもう1度っていうのはなかったんですか。
野出さん: なかったですね。それで、2001年の3月に閉鎖する時に、ヤングタウンを出て全国各地で暮らしている元入居者の皆さんに、最後にもう一度集まろうと、さよならパーティの案内を出したんです。そしたら、本当に九州など遠方からも含め、大勢の人が駆けつけてくれました。福祉センターが宿泊施設になっていたから、そこを全部解放して、遠方から来た人には泊まってもらって。
山上さん: 私たちも、ヤンタンを出た後は、OB会で宿泊施設を借りて集まっていました。だからこそ、その「集まる場所」がなくなるっていうのが、やっぱり寂しかったですね。
___ 時代の流れとともに、その役目を終えることになったヤングタウン。しかし、閉鎖が決まった後の「さよならパーティ」に全国から人々が集ったというエピソードこそが、ここが単なる住居ではなく「故郷」であったことを物語っています。
人生そのもの。ヤングタウンが遺したもの
Q: 最後に、ヤングタウンでの暮らしを経て「今だからこそ思うこと」や「伝えたいこと」などがあればお聞かせください。
山上さん: 入居者だった時も、ペアレントをした時も、すごく貴重な経験をたくさんしました。あそこがあったから、人の話を聞けるようになったり、人に優しくもなれたり。今でもテニスを続けているのも、ヤンタンでの活動があったからです。
坂野さん: 僕なんかもう本当にヤングタウンが青春時代そのものです。18歳から入居者として関わり、そこで素晴らしい奥様にも恵まれ結婚しました。その後ペアレントにもなり、ヤングタウンで子どもたちを育てました。ヤングタウンは僕の人生の分岐点ですね。
兵藤さんご夫妻: 私たちも、夫婦の出会いがヤングタウンのクラブ活動でしたし、そこで本当に一生の友達ができました。今も全国の友人とつながりが続いていることが、何よりの財産だと今も思っています。
小西さん: 私はペアレントとしての関わりでしたが、もっと早く知っていれば、独身の時に私もここに入居者として住みたかったなって、本当にそう思います。今、結婚しない人が多いじゃないですか。もし今ヤングタウンがあったら、日々の暮らしやイベントを通じて自然に人と人がつながれる、すごくいい出会いの場になったんじゃないかなって思いますね。
野出さん: こういうシェアハウスみたいな、人間関係が一番大事だということを実感できる場所は、今も必要でしょうね。 僕は高校1年からお世話になった人から「来い」と言われてこの仕事に飛び込んだけど、それもこういう活動が好きだったからです。ヤンタンがなかったら、人生がガラッと変わっていたと思います。僕の人生そのものですね。
「人生そのもの」「青春時代」「分岐点」。参加者の皆様が選ぶ言葉は、どれも実感のこもった、温かいものばかりでした。
3回にわたり、入居者、ペアレント、職員というそれぞれの立場からヤングタウンの記憶を語っていただきました。そこから見えてきたのは、単なる住居ではなく、濃密な人間関係を築く「コミュニティ」であり、「故郷」と呼べる場所であったという事実です。
建物はもうありませんが、3万人の若者が過ごしたあの日々と、そこで育まれた「人とのつながりを大切にする精神」は、時代を超え、今も参加者の皆様の心の中で確かに生き続けています。
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