【ヤングタウンの記憶・第2回】ヤンタンが育んだ「もう一つの家族」~ペアレントと60のクラブ活動~
第1回は、月々1万円以下という驚きの家賃や、4畳半のコンパクトな居室、そして充実すぎるほどの共同施設といった、「ヤングタウン」のユニークな生活環境についてご紹介しました。
しかし、ヤンタンが今もなお元入居者たちの心に強く残り続ける理由は、その「魂」ともいえるソフト面、すなわち濃密な「人とのつながり」にあります。
第2回は、ヤンタン独自の「ペアレント制度」、そして若者たちの情熱がほとばしった「クラブ活動」や「イベント」の記憶を紐解き、ヤンタンがどのようにして「家族」のようなコミュニティを育んでいったのかに迫ります。
親代わりが見守る安心感と、かけがえのない出会い
Q:周囲の方との交流や関係性で、印象に残っていることはありますか?
山上さん: フロアでの交流はすごくありましたね。いろいろな会社の人たちが入居しているので、普段は聞けないような業界の話が聞けるのがすごく楽しかったですね。
野出さん: 各階のエレベーターホール前に談話室があって、そこがみんなの集まる場所になっていましたね。一緒にテレビを見たり、雑談をしたりしながら、自然と交流が生まれていました。
Q:ペアレントさん(住み込みの相談支援者)との関わりについて、覚えていることがあれば教えてください。
野出さん: ペアレントというのは、その名の通り「親代わり」です。15歳で大阪へ就職してきた子たちも大勢いましたから、親御さんは心配です。そういう若い人たちのお世話をしてくれる人が必要だ、という発想でヤングタウン構想ができたんです。
山上さん: 私が入居者で入った時、ペアレントのご夫婦で本当によくしてくださった方がいて。熱が出た時にはお粥を作ってくれたり、「ご飯食べてる?」って声をかけてくださったりしました。その経験もあり、後に主人を説得して自らもペアレントになりました。いざなってみると、夜中にピンポンが鳴ってお酒を飲みすぎた子の介抱をしたり、喧嘩の仲裁に入ったり…いろいろありましたが、私には適任だったかなと思います。主人はちょっと参っていましたけど(笑)。
小西さん: 私は女性棟でペアレントをしていました。精神的に不安定になってしまう子もいて、夜通し付き添ったこともあります。あの一晩は本当に寝られなかった。そういう大変なこともありましたが、今となってはいい経験です。
野出さん: ペアレントの皆さんは、入居者と一緒になって運動会やイベントで活動してくれていました。普通の管理人さんでは、そこまで深い相談はできません。このシステムは、全国のどこにもなかった、まさに最初で最後の試みでしたね。
___ 単なる「管理人」ではなく、まさに「親代わり」として若者たちに寄り添ったペアレントの存在。その温かい眼差しが、ヤングタウンのコミュニティの土台を築いていたことが伺えます。
団地全体が熱狂!毎月のイベントと60のクラブ活動
Q:クラブ活動や行事などには参加されましたか?楽しかった思い出があればぜひ教えてください。
野出さん: クラブ活動は、入居者が中心になって運営するのが基本ベースでした。多い時で60ぐらいあったかな。
山上さん: スポーツ系は土日に、文化系は平日の夜に活動していましたね。私は体育館ができてすぐにバドミントン部を作ったんです。主人は卓球部に所属していて、体育館で知り合って結婚しました。
兵藤さん(ご主人): 私たちはESSという英会話クラブです。最初は真面目に外大の先生から英語を教わっていたんですが、だんだんテニスやスキーがメインになっていましたね(笑)。
坂野さん: 僕は卓球大会や運動会といったイベントには、とにかく全部参加していました。卓球大会では優勝もしましたね。妻とは軟式テニスのイベントがきっかけで知り合ったんです。そこでダブルスを組んで、たまたま優勝して。それが縁で結婚しました。
「ヤングタウン20年のあゆみ」より
山上さん: 入居してすぐに、ペアレントさんから「ソフトボールの大会があるから出ない?」と誘ってもらえたんです。それが友達作りのきっかけになって、すぐに輪が広がり、日曜日が来るのが楽しくてウズウズしていました。
坂野さん: もう毎月のようにイベントをやっていましたよ。
山上さん: 年間計画がしっかり立てられていて、本当に学校みたいでしたね。
小西さん: 運動会は盛り上がりましたね。女子棟と男子棟でチームを作って。
山上さん: 緑チームとか赤チームとかに分かれて、応援合戦もすごかったです。背番号を作ったり、入場門まで作ったりして。ペアレントさんの子どもたちも参加して、とても楽しかったですね。
野出さん: 盆踊りもやりました。第1回は、工事中の現場の方が足場丸太を組んで「やぐら」を造ってくれました。そのうち立派なものを造るようになりました。あと、餅つきも。事務局の前で臼と杵で。その時の臼がね、今もうちにありますよ。ベランダで金魚鉢になってます(笑)。
___ 入居者自身が企画し、参加する無数のイベント。それが学校の文化祭のような熱気を生み、ヤングタウンを「ただ住む場所」から「活動する場所」へと変えていきました。そして、この活発な交流こそが、多くの友人や生涯のパートナーとの大切な出会いの場となっていたのです。
「人生の分岐点」ヤンタンがくれたもの
Q: ヤングタウンで出会った方の中で、「この人がいて良かった」と感じた出来事はありますか?
山上さん: やはり、私が入居者だった時にお世話になったペアレントのご夫婦ですね。奥様もご主人も本当に話しやすい方で、あのご夫婦がいてくれたからこそ、孤独を感じずに安心感を持って暮らせました。その時の経験が、「あんな風になれたらいいな」という強い憧れになって、それが自分がペアレントになる一番の動機にもなりましたね。
野出さん: ペアレントの皆さんは、本当に入居者の心に残る仕事をずっとやってくれていました。実際、ペアレントの悪い評判というのは聞かないんです。「世話になった」と感謝している人ばかりでしたね。
Q: 当時の人とのつながりを振り返って、「ここで暮らせて良かった」と感じた瞬間があれば教えてください。
坂野さん: やはり妻と出会えたことですね。ヤングタウンがなかったら、僕も奥さんと出会ってないし、人生が変わっていたと思います。
山上さん: 私も主人と出会えたのもここですし、入居したての頃にペアレントさんに誘ってもらって、ソフトボール大会ですぐに友達ができた瞬間も、ここで暮らせて良かったと感じました。
兵藤さん(奥様): いまだに全国に友達がいてて、今もつながっていることですね。栃木、埼玉、千葉、神奈川とか。大阪に来た時は会ったり、泊まってくれたり。本当に一生の友達ができました。
兵藤さん(ご主人): 台湾の友人は、今でも家族ぐるみで交流があります。子どもたちを連れて台湾に行かせてもらったこともあり、こうした出会いがあったことが本当に良かったです。
入居者、ペアレント、職員。それぞれの立場は違えど、ヤングタウンが単なる住居ではなく、濃密な人間関係を築く「コミュニティ」であり、「故郷」のような場所であったことが伝わってきます。しかし、時代とともに、このユニークな若者たちの「街」は大きな転機を迎えます。
次回(第3回)は、ヤングタウンの閉鎖の経緯、そして時代を超えて今なお続く「ヤンタンの精神」について、皆様の想いをうかがいます。
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