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【ヤングタウンの記憶・第1回】若者が集った「夢の団地」~驚きの家賃と充実の共同施設~

ヤングタウン 公社棟
ヤングタウン 公社棟

かつて大阪の泉北ニュータウンに、ひときわユニークな輝きを放つ「ヤングタウン(通称:ヤンタン)」と呼ばれる場所がありました。1972年(昭和47年)に誕生したこの団地は、その名の通り、入居資格は18歳から29歳(当時)までの勤労青少年に限定。最盛期には4000人近くの若者が集い、暮らし、交流したこの場所は、単なる「住まい」を超えた「コミュニティ」そのものでした。

今回は、元入居者、入居者の相談役であった「ペアレント」、そして元職員という、様々な視点をお持ちの皆様に「ヤンタン」のリアルな姿を語っていただきます。

第1回は、当時の「暮らし」のハード面。驚きの家賃やユニークな共同設備など、ヤングタウンでの生活環境に迫ります。

インタビューにご協力いただいた皆様
インタビューにご協力いただいた皆様

上段左から:

  • 野出さん(財団法人「青少年の町」元職員)
  • 坂野さん(元入居者→ペアレント)
  • 兵藤さん〈ご主人〉(元入居者)

下段左から:

  • 山上さん(元入居者→ペアレント)
  • 小西さん(元ペアレント)
  • 兵藤さん〈奥様〉(元入居者)

会社寮、友人、結婚…それぞれの「ヤンタン」入居

Q:ヤングタウンには、皆様どのような経緯で入居されたのですか?

山上さん: 私は18歳で九州から大阪に出てきたのですが、会社が寮としてヤングタウンを紹介してくれました。会社の寮は大正区にあったのですが、あなたはこっちでと。ここから淀屋橋の職場まで通っていました。

坂野さん: 僕は友達がペアレントをしていたので、入居前から遊びに行っていたんです。運動が好きだったので、テニスや野球のイベントにもよく参加していました。

兵藤さん(奥様): 私たち夫婦は入居者として入りました。主人が昭和52年、私が53年からです。

兵藤さん(ご主人): 二人ともESSという英会話のクラブ活動で知り合いました。結局7年くらいいましたかね。

小西さん: 私はペアレントとして関わりました。ヤングタウンが終わるまでの最後の10年ちょっとの間、女性棟の6階でペアレントをしていました。

※2001年3月31日、(財)青少年の町が解散し、ヤングタウン閉鎖。三原台単身者住宅は公社直接管理に移行しました。

野出さん: 私はヤングタウンの中心施設「勤労青少年会館」がオープンする昭和47年の2月から、立ち上げの職員として関わりました。実際に住んでいたわけではなく、運営側の立場ですね。

インタビューの様子

___ 会社の寮として入居した方、友人のつながりで入居した方、入居者同士で結婚した方。そして、親代わりのペアレントとして見守った小西さん、彼らの生活を職員として支えた野出さん。様々な立場の視点が、ヤングタウンの多面的な姿を映し出します。

驚きの家賃「月7,000円台」と「4畳半」の暮らし

Q: お部屋の間取りや暮らし方について、覚えていることがあれば教えてください。

公社棟の外観1 公社棟の外観2
公社棟の外観

兵藤さん(奥様): 家賃はすごく安くて、6000円とか、7000円だったかな。

坂野さん: 7200円とか。とにかく1万円はいってなかったです。

野出さん: 安かったですね。共益費をプラスしても1万円はしなかった。ただ、部屋は畳4枚、4畳半ぐらいでした。

居部屋平面図
ヤングタウンパンフレットより

坂野さん: 本当に、手を伸ばしたら全部に届く感じでした(笑)。

野出さん: 事業団棟はもともと2人部屋を想定していたので、少し広くて6畳ほどあったかもしれません。

山上さん: そうそう、私が入った部屋は2人部屋で、入口側と窓際でどうする?みたいな感じで。でも、すぐに会社に頼んで1人1部屋にしてもらいました。
洗濯物はみんな部屋の中に干していました。屋上には上がれなかったので。
洗濯機も各フロアに2個しかなかったので、前の人が使っていたら待たなければなりませんでしたね。

兵藤さん(奥様): 自炊する時は、共同キッチンのガスを使うのにコインが必要で。わざわざ事務局に買いに行ってました。5円か10円だったかな。すぐ切れちゃうんですけど。

野出さん: 冷蔵庫ももちろん自分持ちで、ホテルにあるような小型のものを皆さん置いていましたね。

___ 家賃が1万円でお釣りがくるという衝撃の事実に加え、部屋は4畳半。洗濯機は共同で部屋干し、ガスはコイン式と、当時の暮らしぶりが鮮明に語られました。不便さも含めて「寮生活」ならではの空気感が伝わります。

食堂、共同浴場、グラウンド…「至れり尽くせり」の共同施設

Q: センター施設(食堂や体育館など)は、どのように利用されていましたか?

坂野さん: とにかく施設がすごかったですよ。お風呂はまるで温泉みたいで最高でしたね。利用する人もすごく多かったです。

「青少年の町ヤングタウンガイド」より(1996年頃)
「青少年の町ヤングタウンガイド」より(1996年頃)

山上さん: すごい人数でしたよね。主人がよく「帰りが遅くなるとお風呂がいっぱいで、いつも行水で帰ってくる」って言ってました。

野出さん: 食堂はセンター施設の1階にあって、営業時間が決まっていました。朝もあったかな。朝から夜は21時か22時ぐらいまでやっていました。

坂野さん: あれは便利でしたね。食堂には炉端もあって、お酒も飲めましたよ。テニスコートにグラウンドまでありました。しかも当初、入居者は無料で利用できましたね。

野出さん: それ以外にも卓球室や、当時数百万円もした機器が揃ったトレーニングルームもあったんですよ。

食堂 テニスコート
トレーニングルーム
「青少年の町ヤングタウンガイド」より(1996年頃)

___ 4畳半の自室とは対照的に、共同施設は「至れり尽くせり」の一言。若者たちのエネルギーを受け止める、充実した環境が整っていたようです。

利便性と、「ふつう」とは違う暮らし

Q: 普段の通勤や買い物など、生活の利便性はいかがでしたか?

山上さん: 通勤電車はすごい人数で、いつもギューギューでしたよ。まだ中百舌鳥も地下鉄の駅がない頃だったので、難波まで行ってから乗り換えていました。

野出さん: 泉北高速鉄道(現在の南海電気鉄道泉北線)は運賃も高かったしね。当初、JR阪和線は三国ヶ丘駅にも停まりませんでしたし。

小西さん: 駅前に商業施設のパンジョができる前は、同じく駅前にあったトリオトで買い物をしていましたね。

山上さん: でも、センター施設の2階に売店やクリーニング屋さんがあったので、すごく助かりました。入居した日に、ほうきやチリトリなどの生活用品を買ったのを覚えています。

野出さん: お菓子も食べ物も売っていて、もう、ほぼコンビニみたいなものでした。ただ、さすがに普通の居酒屋となると近くには無くて、駅前まで行ってましたけどね。

坂野さん: だから、夜になるとヤンタンの周りに屋台がよく来て、繁盛していましたよ。おでん屋さんとか、イカ焼きとか、焼き鳥とか。

兵藤さん(ご主人): 置きっぱなしのバスを改造した屋台もありましたね。バスの中で営業しているんです。

ヤングタウン入居者向け会報誌「ニューズヤングタウン」を見ながら思い出を振り返る
ヤングタウン入居者向け会報誌「ニューズヤングタウン」を見ながら思い出を振り返る

___ 通勤ラッシュや買い物など、ニュータウンならではの利便性がありつつも、夜になれば団地の周りに屋台が集まる。そんな当時の活気ある風景が目に浮かびます。

「ふつうの一人暮らし」とは全く違う、ヤンタンという環境

Q: 今ふりかえって、ヤングタウンでの暮らしは「ふつうの賃貸」や「一般的な一人暮らし」とどんなところが違っていたと思いますか?

野出さん: あの当時は、集団就職などで西日本から大勢の若者が大阪に来ていた時代で、彼らのような若い労働力は「金の卵」と呼ばれていました。ヤンタンはまさにそうした人たちのための施設で、最初は勤労青少年のみ、それも15歳から28歳までが対象だったんです。

ヤングタウン第1期入居案内(公社棟)
ヤングタウン第1期入居案内(公社棟)

小西さん: だから、田舎から出てきた子たちは、すごく安心したと思いますよ。

山上さん: 共同生活ならではのルールもありました。当時は部屋に電話がないですから、かかってきたら管理人さんがインターホンで呼び出してくれるんです。「電話ですよ」って言われたら、下まで降りて行って、管理人さんの横で電話を取るんです。時間も限られていましたし、「早く切りなさいよ」と急かされるような雰囲気もあって、ゆっくりは話せません。結局、「こっちから掛け直すね」と伝えて、改めて公衆電話から掛け直す、なんてこともよくありました。

野出さん: 女性は門限もありましたしね。

山上さん: 23時です。時間になったらぱっと閉められて、厳しかったですね。

兵藤さん(ご主人): 男性も最初はあったんですよ。

野出さん: そう、1981年に廃止になるまで、9年間は男性も門限がありました。

山上さん: 会社の寮だと、みんな同じ仕事仲間ばかりです。でも、ヤングタウンはいろんな会社の人たちが入居しているのですごく楽しかったですね。もし会社の寮に入っていたら、同じ仕事仲間の世界だけで終わっていたと思うので、ヤンタンで暮らせて本当に良かったなと思います。

インタビューの様子2

月々数千円の家賃、4畳半のコンパクトな部屋、そして充実すぎるほどの共同施設。ヤングタウンの「暮らし」は、現代の価値観から見ても非常にユニークなものでした。
しかし、参加者の皆さんが本当に「ヤンタン」の魅力として語るのは、こうしたハード面以上に、そこで育まれた「人のつながり」です。

次回(第2回)は、そのつながりの中心となった「ペアレント制度」、そして若者たちの情熱がほとばしった「クラブ活動」や「イベント」の記憶を紐解きます。

▼他のインタビューはこちら▼

【ヤングタウンの記憶・第2回】ヤンタンが育んだ「もう一つの家族」~ペアレントと60のクラブ活動~

【ヤングタウンの記憶・第3回】さよならヤングタウン~「今に続く絆」とそれぞれの想い~

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