過去・現在・未来

建替を見届けた元自治会役員が語る、石橋西団地の思い出と住民の絆

建替前の石橋西団地
建替前の石橋西団地

大阪府住宅供給公社は、「住まい」を通じて人々の暮らしと願いを形にしてきました。団地の建替事業も、単に建物を新しくするだけでなく、そこに住まう人々の暮らしやコミュニティのあり方を未来へとつなぐ大切な取り組みです。そうした取り組みの一つとして、1958年に竣工した旧「石橋西団地」は、2021年3月、現在の「OPH石橋テラス」として生まれ変わりました。

今回お話をうかがったのは、元自治会長の横山さん、そして団地での暮らしを共にされ、インタビューにも同席いただいた奥様、元副会長としてカークラブも担当された梶本さんです。皆さまは、旧「石橋西団地」に長年お住まいで、建替事業に伴う移転を経て、現在は「OPH石橋テラス」に戻り、新しい団地での生活を続けていらっしゃいます。

※今回の建替事業においては「石橋西団地」と徒歩圏内の「石橋団地」「神田町団地」を集約し、石橋西団地(の一部)敷地に「OPH石橋テラス」を新築しました。

建替に伴う交渉時の自治会役員として、また長年の住民として、団地の運営から建替のプロセスまで深く関わってこられた皆さまだからこそ感じられる、かつての暮らしの思い出や、新旧の暮らしで感じた変化について、じっくりと語っていただきました。

インタビューにご協力いただいた皆様
インタビューにご協力いただいた皆様
写真左から:横山さんご夫妻、梶本さん

結婚、そして親の介護。それぞれのきっかけで石橋西団地へ

Q: 石橋西団地には、いつ頃・どんなきっかけで入居されたのですか?

横山さん(ご主人): 昭和52年(1977年)に結婚が決まり、申し込んだのがきっかけです。当時は池田や茨木などいくつかの地域でまとめて申し込む形で、私たちはたまたまここ(石橋西団地)に当たりました。私は職場が梅田だったのですが、ここからだと電車1本で通えて非常に便利でした。通勤の便利さと家賃の安さ、そして子育て環境の良さもあって、結局長く住み続けることになりました。

梶本さん: 私は横山さんより後で、平成6年か7年(1994〜1995年)頃です。もともと妻の親が団地の1号棟に住んでいまして、少し体調が悪くなってきたということで、私たちが近くの3号棟に越してきたんです。その頃は、もう子どもは出ていった後だったと思います。

石橋団地の資料 インタビュー風景
当時の資料を見ながら思い出を振り返りました。

4階までの階段、洗濯物は屋上へ。昭和の団地暮らし

Q: お住まいだったお部屋や、団地の敷地内で印象に残っていることはありますか?

横山さん(ご主人): 建物は4階建てで、もちろんエレベーターはありません。私たちは4階だったので、毎日が良い運動でしたね(笑)。忘れ物をしたら辛いので、一度下に降りたらすべての用事を済ませてから上がれるように工夫していました。

梶本さん: うちは2階でした。当時の部屋はベランダがなくて不便でしたよ。部屋の窓は小さく、窓辺に腰掛けられる程度の奥行きしかなくて、洗濯物を干せるような面積はありませんでしたからね。ですから、1階の人以外は、洗濯物をみんな屋上に干しに行っていました。

横山さん(奥様): 屋上は、だいたい干す場所が「あそこの家の人の場所」という感じで、暗黙のルールのように決まっていましたね。棟によっては階段の踊り場が南向きになっていたので、そこにロープを張ってお布団などを干している人もいましたよ。

インタビューにご協力いただいた皆様
屋上の物干しスペース 1980(昭和55)年撮影
(横山様ご提供写真)

学校がすぐ近く、買い物も便利。子育てしやすい住環境

Q: 当時の団地のまわりの環境はどのようなものでしたか?

梶本さん: 周りの環境は、今とそんなに大きくは変わっていないんじゃないかな。

横山さん(ご主人): 昔から静かな場所でしたね。買い物は、自転車で1〜2分のところにスーパーがありますし、石橋阪大前の駅周辺へも行きます。

梶本さん: スーパーまで歩いたら、やっぱり5分か7分ぐらいはかかりますけどね。不便はそんなに感じないですよ。

横山さん(奥様): 何より良かったのは、学校が近かったことです。小学校も中学校も、団地からすぐの距離にありました。これは、私たちが長くここに住んだ大きな理由の一つですね。

インタビューにご協力いただいた皆様

住民の絆を育んだ「カークラブ」と、活発だった地域の交流

Q:近所の方との交流や、自治会活動で印象に残っていることはありますか?

横山さん(ご主人): 私たちが入居した頃は、子育て世帯が多く、子どもたちも同学年がたくさんいました。親同士も自然と顔見知りになり、子どもたちの遊び相手もたくさんいて、とても子育てしやすい環境でしたね。

横山さん(奥様): 当時は、自治会・カークラブ共催でソフトボール大会をやったり、4月に花見、8月に花火をおこなったときには、おでんを炊いたりお菓子を配ったりもしていましたよね。

横山さん(ご主人): 特に印象深いのは「カークラブ」の活動です。団地内の駐車場を借りている人たちの集まりなんですが、当時の駐車場代が月1,000円程度と、相場より格段に安かったんです。その「申し訳ないから」という還元の意味で、カークラブが主催して、住民を無料の日帰りバスツアーに連れて行ってくれました。

横山さん(奥様): 伊賀の忍者村とか、神戸のワイナリーとか。子どもたちも同じ世代のお友達とみんなで行けるので、本当に楽しそうでしたね。カークラブの方々が自治会活動も兼任して、いろいろと尽力してくださったんです。

梶本さん: 私も車を持っていたので、カークラブの担当と自治会の副会長を兼任していました。駐車場の管理や公社との手続きといった仕事もたくさんしましたよ。

横山さん(ご主人): 私は自治会長を合計で2回やりました。1回目を務めた後、私が再び会長になったのが団地の建替時期でした。その頃には住民も高齢化が進み、かつてのような活発なイベントはなくなっていましたね。

横山さん(奥様): 以前は月1回、第1日曜日でしたっけ?必ず住民で掃除と草むしりをやっていました。もうね、夏は汗だくになりながらやっていましたよ。ただ、それも住民の高齢化でだんだん難しくなって、最後のほうに委託に切り替わったんです。

ヤングタウン入居者向け会報誌「ニューズヤングタウン」を見ながら思い出を振り返る

今では考えられない?懐かしい団地での生活

Q: 当時の暮らしを振り返り、「団地あるある」だったなと思うエピソードなどはありますか?

横山さん(奥様): やはり「お風呂」ですね。今の若い人が見たらびっくりすると思いますよ(笑)。コンクリート打ちっぱなしの床に、お風呂の釜も自分たちで用意しなくてはならなかったんです。床に敷く「すのこ」も、排水口の位置に合わせて、自分で木材を買ってきて手作りしていました。

横山さん(ご主人): 私たちが入居した時は、前の人が置いていったきれいな風呂釜を1万円で引き継いだんです。台所の流しもホーローでしたしね。

梶本さん: トイレも昔は和式でした。途中で置き型の洋式便座になりましたけど。

横山さん(奥様): そうそう。そうした昔ながらの設備が嫌で、引っ越していく若い人もいましたね。

梶本さん: まあ、今の若い人にはあの設備は無理やろうね。

横山さん(ご主人): でも、文句は言えませんでした。だって、入居した当時(1977(昭和52)年)の家賃が9,800円だったんですよ。2DK(間取りの表記は2K)で梅田まで近くてこの値段ですから。少々の不便は我慢できました。

石橋西団地の間取り
石橋西団地の間取り
石橋西団地の居室 石橋西団地の浴室
石橋西団地の居室と浴室

ついに実現した建替と、2度の引っ越し

Q: 建替のお話を聞いたときは、どんなお気持ちでしたか?

横山さん(ご主人): 実は建替の話は2回あったんです。1回目は、一度決まりかけたんですが、当時の公社の方針によって中止になってしまいました。ですから、今回また話が来た時は、「やっと動き出すのか」という期待のほうが大きかったですね。

梶本さん: 私自身は、建替が決まった時も、別の場所に引っ越しすることは考えず、ここで住み続けるつもりでいました。もちろん、この機会に家を買って出ようとか、他のところに住みたいという人もいたようですね。

横山さん(ご主人): 入居者から反対意見もほとんどありませんでした。むしろ、工事業者が決まらずに計画が半年ずれた時、「自分たちも高齢だから、元気なうちに新しい家に戻ってきたい」といった切実な声が寄せられたくらいです。皆さん、新しい団地での暮らしを本当に心待ちにされていたんですね。

Q: 建替中の仮転居から建替後の入居まで、どのような流れで行われましたか?また、自治会役員としてご協力いただいた中で、印象に残っていることはありますか?

横山さん(奥様): 建替が決まったときはうれしかったですが、いざ動き出すと、自分たちも年齢を重ねていたので正直大変でした。石橋西団地から仮移転先の石橋団地へ一度引っ越し、また新しい団地(OPH石橋テラス)へ戻ってくるという、合計2回も引っ越しをしなければなりませんでしたから。

横山さん(ご主人): 会長としても一番大変な時期でした。引っ越しのごみをどうするか役所と回収の調整をしたり、皆さんに分別して出してもらったり。それから、自治会費がある程度余るので、それを皆さんにどう分配するかとか、いろんなことがあって本当に苦労しました。

新しい暮らしで得たものと、変わったもの

石橋テラス室内
石橋テラス外観 石橋テラス外観
旧石橋西団地から生まれ変わった「OPH石橋テラス」

Q: 現在の「OPH石橋テラス」での暮らしはいかがですか?

横山さん(奥様): それはもう、快適になりました。まずエレベーターですね。建替前の団地では4階に住んでいて階段が大変でしたから。それにオートロック、広くなったベランダで洗濯物が干せること。何より水回りがきれいになったのがうれしいですね。昔の家を知っている子どもたちも、新しいこの家を見て感激していました。以前の家を知っている息子の友達が遊びに来た時も、「おばちゃん、きれいになったな!」ってすごく感動していましたよ。

横山さん(ご主人): お風呂もユニットバスになり、トイレも洋式で、昔とは比べ物になりません。部屋も広くなりましたし。ただ、欲を言えば、もう少し収納スペースがあるとうれしかったかな。建替前の団地は押し入れだったので、奥行きがあって上までいっぱい入ったんですよ。今のクローゼットは洋服を入れるにはいいんですが、奥行きがそこまでないので。引っ越しの時にもだいぶ捨てました。まあ、生活スタイルが洋式に変わりましたし、仕方ないですね。

梶本さん: 自治会も解散したので、草むしりや掃除当番がなくなったのは楽になりました。でも、中庭にあった立派な桜の木が一本も残らなかったのが寂しいですね。

横山さん(奥様): 中庭の桜は本当に見事で、毎年春に満開の景色を見られるのは幸せでした。屋上から見下ろすと、桜が中庭を埋め尽くしていて、下が見えないほどだったんです。その桜の下で子どもたちが遊んでいる光景は、今思えば本当に良い思い出ですね。団地のど真ん中にあったので、建替の際には残すのが難しかったんでしょうね。

石橋団地の桜の木 インタビュー風景
子どもたちの成長とともに時を重ねてきた桜の木は、石橋西団地のシンボル。
(横山様ご提供写真)左:1984(昭和59)年、右:1985(昭和60)年撮影

横山さん(ご主人): そういった交流も含めて、一番大きく変わったのは住民同士の関わりが少なくなったことですね。今は個人情報保護の意識も高い時代ですから、表札を出さない方も多く、お隣にどなたが住んでいるか分からないこともあります。時代の流れで仕方ない面もありますが、防犯面を考えると、ある程度顔見知りになって挨拶できる関係のほうが安心だったかな、とは思います。

梶本さん: 昔は自治会の掃除などで顔を合わせましたから、誰がどこの人か大体わかっていました。今は当番などの負担がなくなり気楽といえば気楽ですが、話し相手も減ってしまったので少し寂しいですね。いろいろ不便なこともありましたが、やはりコミュニケーションが活発で、皆で役割を担いながら暮らした前の団地生活は、今振り返っても良かったなと思いますね。

横山さん(ご主人): 私は、結婚して、子どもが生まれ、子育てをして、巣立っていくという、人生で一番思い出深い時期を石橋西団地で過ごしました。私たちが入居した頃は同世代の家族が多く、子どもたちにとっても友達がたくさんいる良い環境で、本当に良かったと思います。思い出は古い団地に詰まっていますが、暮らすなら快適な今のほうがいい。これが本音ですね。自治会は解散してしまいましたが、この新しい団地でも、もう少し住民同士の交流や顔見知りになる機会が増えたら、なおうれしいですね。

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団地の建替を経て、暮らしは格段に快適になりました。一方で、かつては当たり前だった住民同士の関わり方は、時代の流れとともに変化しています。皆さまのお言葉からは、便利な暮らしを喜ぶ気持ちと、昔の温かい交流を懐かしむ気持ち、その両方が率直に伝わってきました。

横山さんご夫妻、梶本さんが築いてこられた「住民の絆」という土壌の上に、OPH石橋テラスという新しい団地で、また新たな形のコミュニティが育まれていくことを願っています。貴重なお話をありがとうございました。

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